ドラマ作成を取り入れたクラス活動(1)
1.ドラマ作成とは
2002年度秋学期の口頭表現8Eクラスの活動を中心に紹介したい。このクラスの活動目標は、日本語でドラマを作成することである。ドラマとはいっても、映像作品ではなく、舞台の上で演じられる劇に近いものである。この目標に向かって、90分×14回という時間の中でさまざまな活動を行っていった。
一日目に、クラスを進める上での基本的な考え方と活動予定について説明した。ドラマを作ると言っても、どのような言葉を選び、どんな内容のドラマにするかだけではない。それ以前に、まず自分の身体を意識することと声を出すことが第一段階である。
斎藤(2000)によれば、「日本における身体文化の中心軸は、腰肚文化と息文化である」という。腰と腹に力を入れて呼吸することが声を出すことの基本なのである。説明の後、呼吸法の練習と「あああ」という声を出す練習を行った。言葉の前段階に声があるのである。呼吸したり声を出したりというのは、今までの日本語学習で経験したことがなかったようで、春学期は何人かの学生が次の週から来なくなった。結局最後まで残ったのは3人であった。秋学期は、声を出すことを楽しんでくれる学生が多かった。
春学期はこの後、斎藤の『声に出して読みたい日本語』からいくつか選んで毎週暗唱させたが、あまり評判がよくなかったので、秋学期は一回だけにした。
ドラマとは、音声言語と身体の動きで作っていくものである。春学期は身体の動きを意識化するための練習として、会話練習の教材を座って読むだけでなく、動きをつけてみた。読んでいるだけでは身体が動かないので覚えなければいけなくなる。覚えた言葉に身体の動きが加わることで、自然なイントネーションで話すことができるようになった。もちろん、8レベルであるから元々それほど問題はないが、逆に、無意識的に身体を動かすことができるので、意識化する必要性に気づかない学生もいた。
春学期は、次に、ドラマのビデオを見せて、言葉の使い方・身体の動かし方の練習を行った。ビデオを見て理解することは簡単であるが、その通り演じること、セリフを覚えることよりも意識的に身体を動かすことはむずかしいということがわかったようだった。このクラスの学生たちは、ある場面をビデオの通りに演じることだけで満足していた。理工学部の口頭表現クラスで同じことを行った時には、「この場面では私ならこういうことは言わない。」「もっと自分たちで作ってみたい。」という感想が出た。秋学期は、時間の関係でこの活動は省略した。
ドラマには内容が必要である。内容とは、ある場面を設定し、人物を登場させ、何かについて話させる、いわゆる脚本というものである。ドラマ作りは脚本を作るところから始めるのである。春学期は内容を決めるのに時間がかかりすぎた。学生たちからアイディアが出ないのである。上で述べたように、3人という人数で(その他に毎回日本人ボランティアが2人参加してくれた)、与えられたものだけで満足するタイプの学生ばかりだったためか、自分たちで作っていくという発想が少なかったようである。実は、これは予想外であった。
筆者は、理工学部以外にも、以前7レベルと4レベルの口頭表現クラスでクラス活動の一部としてドラマ作成を取り入れたことがあったが、内容を決めるのにこれほどの時間はかからなかったからである。「ビデオの内容をアレンジすることから始めてみたら」とアドバイスしたが、「あの話はもうよい。」ということだった。しかし、なかなかアイディアが出ない。それでも、日本人ボランティアと共に話し合いを続けていくうちに、少しずつ形ができてきた。クラス最終日には完成発表会と反省会を行うことができた。
秋学期は、内容を考えるためのヒントを多く与えるため、学生たちにスピーチをさせてみた。学生たちが順番に資料を準備して発表を行い、それについて他の学生たちと話し合いをするという活動である。この活動自体は、もっと下のレベルでも取り入れている活動であり、このクラスの学生たちにとってはむずかしいものではない。スピーチのテーマとして各学生が選んだものは、以下の通りである。
「若者のモラル」「電車のマナー」「アルバイト」「村八分」「ノーベル賞」「路上喫煙」「姿勢」「ブランド指向」「ゆとり教育」
どのテーマからも現代日本社会が見えてくるものである。毎週2人ずつ進めていったが、時間が足りなくなるほど活発な意見交換が行われた。「今の日本人はここがおかしいから変えてほしい。」「日本で生きていくためには自分を変えなければいけない。」といった結論を出すことはなく、「日本に限らず世界にはさまざまな生き方をしている人がいるのだ。自分自身の生き方を自覚し、が他人の生き方をどこまで認めることができるかを考え続けなければいけない。」ということで話がまとまった。しかし、これらのテーマをドラマの内容にどう結びつけるのかは、筆者自身にも予測できなかった。
学期の後半は、クラス8人が2グループに別れて、ドラマを作っていった。内容を考える(脚本を作る)・言葉と身体の動きを決めていく(演出する)・言葉と身体で表現する(上演する)という順番である。
学生たちには作品を作ると同時にドラマ作成ノートを記録するように指示した。ドラマ作成ノートとは、ドラマを作っていく過程を学生たち自身が客観的にとらえ、ドラマ作成という活動そのものに意識的に取り組むためのものである。
授業終了の前週には完成発表会を行い、教師がビデオカメラで撮影・録画した。これは記録として残しておくものなので、ビデオカメラを三脚で固定し、ズームアップのような映像テクニックは使わず、枠からははみ出さないことだけ注意した。
最終日にはビデオを見ながら、脚本と作成ノートをもとに、反省会を行った。これは、ドラマ作成という活動全体について、あらためて自己評価するというものである。
2.ドラマ作成の記録
学生たちのドラマ作成ノート、その他のコメントからいくつか紹介し、筆者自身のコメントを加えたい。1)作成過程に関して(グループ2のドラマ作成ノートより、表記は原文のまま)
11月27日
まず、一人ずつどのような内容がいいのか少し考えた後、一人ずつ意見を出すことにした。
Bさんは親のいない貧しい四人兄弟の話にして、四人とも性格が全然違って少しトラブルあるけど頑張って生きていく内容にしようという意見を出した。Cさんの意見は、お母さんしかいない奥さんとお父さんしかいない主人がいて、いつもちょっとしたことでケンカをする。これを情けなく思った親たちが仲直りさせようとするが、結局、夫婦は離婚し、親達が結婚することになるという話であった。Aさんの意見は、借金を返せなくて苦労している老夫婦と娘がいるが、娘に立派な彼氏ができたと聞き、とても喜んでいたが、実は彼氏という人はいつも借金を取りに老夫婦の家に来る金融会社の人だったという話であった。いずれも面白そうな設定だったため、なかなか選べなくて次の授業まで自分が考えた内容についた台本を書いてくることにした。12月4日
Bさんの欠席とCさんが書いてきた台本の不充実のため、Aさんが出した内容にすることに決定した。三人でAさんが書いてきた台本を読みながら内容を確認した後、少し面白そうな場面を加えた。12月11日
Oさん(日本人ボランティア学生)に不自然な日本語を直してもらった。また、各場面とも日本語らしい表現、日本人同士の会話らしい会話になれるように色々Oさんと相談した。12月18日
老夫婦はBさんとCさん、娘はDさん、金融会社の人はAさんと役割を決めた。自分のセリフを確認した後、さっそく練習してみた。不自然な部分も多かったが、みんな自分の役割にもう慣れてしまったような様子であった。01月09日
昼休みに空いている教室で練習を行った。リハーサルをしてみた結果、場面場面のつながりの部分が少し不自然だったため、金融会社の人が最初は宅急便だとごまかす場面や内職の場面などを加えた。5回ぐらい練習した後、お菓子など必要な小品を確認して担当を決めて解散した。みんな、もうすでに老夫婦と恋人同士になっていた。01月15日
いよいよ本番!! 練習の時は緊張したせいかうまくいかなかったが、本番の時は思ったよりもよくできて、自分の中に俳優の血が流れているのではないかとみんな真剣に疑った。グループ1は、このような形の作成ノートはない。実際の活動は、授業中に4人が集まることがなく、学生一人が脚本を書き、他の3人とケータイやメールで連絡を取り合い、冬休み中に教室以外の場所で会うなどして、何とか作成を進めていったようである。もちろん発表会当日には全員が出席し、個人のコメントを集めたレポートも提出された。
2)脚本作成に関して(作成ノートに書かれた学生たちのコメントの一部、原文のまま)
「テーマを見つけることがなかなか難しかったです。一応テーマが決まってからはどんどん進んだけど。」
「最初は脚本を作るのに皆、相当苦労したと思います。しかし、いったん始まったら、メンバそれぞれの斬新なアイディアが出て面白い脚本が出上がりました。」
「自分も脚本を書いてみました。何回もどこかで行き詰まって、結局諦めました。」
「学生に存分に自由を与えて自分やりたいテーマでさせるのもいいが、できれば先生から特定のテーマを与えられて、それでグループごとにドラマを作ってみたらと思います。学生に自由を与えすぎると何をすればよいか分からなくなります。」
「最初にはどういう内容をするかを決めることから私には難しかったです。」何もないところからテーマを見つけるのはむずかしい。そのためにスピーチという形でテーマに結びつくようなヒントを与えようとしたのであるが、
やはり、うまくいかなかった点もあった。毎回のスピーチが終わった時に、スピーチのテーマから脚本を作るという練習を毎週行えば、
少しは改善されるかもしれない。
3)脚本の内容に関して
作品タイトルは、 グループ1 『未来マナー裁判』 グループ2 『恋人は取り立て屋』
グループ1の作成ノートによれば、『未来マナー裁判』は、「本演劇は未来に起こり得ない裁判である。ある人が公共の場においておならをしてしまった。この架空の世界ではおなら禁止法律が存在しており、これから下される判決を通じて現代の堕落しつつある人々のマナーに警鐘を鳴らすのがその目的である。」
グループ2の作成ノートによれば、『恋人は取り立て屋』は、「借金を返せなくて苦労している老夫婦と娘がいるが、娘に立派な彼氏ができたと聞き、とても喜んでいたが、実は彼氏という人はいつも借金を取りに老夫婦の家にくる金融会社の人だったという話である。」学生たちのコメントは、
「日常生活の中でありそうな場面と人間関係を取り入れて、なるべく日本の社会と生活に近づけようとしていましたが、不自然なところもまだ存在しますので、次の課題にしたいと思います。」
「ドラマというのは日常生活であり得るようなことを作って芝居をすることだとは思いますが、どうしてもコミカルなドラマを作りたかったのでその部分でかなり悩ませたと思います。」学生たちがイメージするドラマとは、社会に対してメッセージを強く発する演劇というよりも、現代社会の状況をコメディー風に取り入れた演劇なのであろう。もちろんこのクラスでは、どういうタイプであってもかまわない。『未来マナー裁判』は、「おなら禁止の法律」という架空の設定の中での裁判の光景ではあるが、「現代の堕落しつつある人々のマナーに警鐘を鳴らす」という目的が脚本にははっきり書かれている。法学部の学生だから書ける力作である。『恋人は取り立て屋』の方は、サラ金の取立てに苦しんでいる人がいるという現代社会の状況がよく捉えられている。どちらの内容も、直接スピーチのテーマと結びつくものではなかったが、ドラマのところどころにスピーチの成果が活かされている。
4)演出に関して
「どうやれば脚本で書いたものをうまく表現できるかという難しさを再び認識しました。」
「身体表現と言語の関係を再認識した。」
「一人のセリフが長すぎると、聞いてくれる観客が少なくなる。と覚悟した。」
「最初は恥ずかしくてどうしようって戸惑ったが、段々作業に夢中になって、何をしていてもドラマのことが頭から消えませんでした。」脚本が完成してからセリフを覚えて身体を動かすという方法ではなく、一応できあがった脚本を使って稽古していくうちに、場面を加えたりセリフを変えたりしながら、よりよい作品に仕上げていった。学生たちは授業以外の時間に稽古することもあり、教師はほとんど参加する機会がなかった。日本人学生ボランティアが積極的に参加してくれたようだった。演出に関しては、今後演劇サークルの学生たちに手伝ってもらうことも考えてみたい。
5)上演に関して
「皆があまりそういう芝居には慣れなくて、ちょっと照れてしまったんですが、後で映像を見ると思ったより上出来でした。」
「練習も足りないので、発表する時セリフに注意をはらいすぎて、言語以外の表現手段はうまくできなかった感じである。」
「尊敬語の使い分けにおいては、ちょっと不自然ではなかったかなと思います。」
「映像を見て、自分の日本語の発音とか会話中の姿勢が不自然のところをチェックすることが出来たので、すごくよかったと思います。」
「日本語のよい表現を勉強するに良い機会ではないかと思う。」
「実際に芝居をしてみることで日本語の話し方についてもう一度考えてみることができました。裁判ではどのような言葉使いをするか、あと場面によってどのような話し方をするのかなどについて分かるようになって大変勉強になりました。」『未来マナー裁判』は、法廷が舞台となっており、大部分が検事と弁護士の言葉のやりとりである。体の動きは少ない。被告・尋問・懲役などの裁判用語が多く、日常生活ではあまり使うことがないので、法学部以外の学生たちには苦労も多かったと思われるが、今までに見たテレビドラマの法廷シーンをイメージしながら演じていたようだった。
『恋人は取り立て屋』は、学生自身が書いているように、全員が役になりきっていた。老夫婦が内職の封筒作りの手を動かしながら話すなど、細かい動きも工夫されている。
恋人同士の会話の中で、脚本では「約束するよ」となっているセリフが実際は「約束します」と言ってしまっている個所がある。演じていた学生は気づいている。頭では理解していても、その場に合った表現がうまく出てこないのである。そのことを本人が自覚できたことで、これからは、実生活の中で意識的に使おうとするだろう。
6)グループでドラマを作成するという活動全般に関しては、
「最初はあまりやりたくないと思ったが、やってみて面白かったです。」
「最初は本当にどうなるのかと思いましたけれども何と予想外に皆さんが一生懸命やってくれて完璧では言わないまでも無事に終わって良かったと思います。」
「ドラマの作成を通して、学生の合同作業の能力を高め、協同する意識ができたと思います。」
「身の回りの社会文化ないし個人の専門研究分野に深くかかわり、『総合能力の言語学習』のいい機会になったと思います。」
「メンバー間のやりとりが活発だと、全体的なバランスが取れる。」
「一言でいえば、今回のドラマ作成はほんとうに面白かった、いい思い出になったと思います。」
「外国人である私にとって短いけど日本語でドラマを作ってみたというのはすごく感動的なものでした。」
「日本語教師を目指している私は、『口頭表現』という授業の組織する方法と授業内容のあり方について、研究のきっかけを見つけたなと思います。」各学生とも活動全体を通して何かを感じ取ったようである。皆が同じものでなくてもよい。自分が感じ取ったものについて言葉で表現できればよいのである。
春学期同様、今回も欠席者が多かったことが問題であった。ドラマ作成は一人ではできない。クループで作るのである。グループ活動は、メンバーの協力がなくては進めることができない。今回は冬休みがあったため、なんとか時間を合わせてドラマを完成させることができたようだった。
クラス全員が必修登録者とは限らないEというクラスでグループ活動を行うこと自体、無理なことかとも思われた。筆者は今までEクラスでは個人活動を中心に行っていたのであるが、今回はじめてグループ活動を取り入れてみて、やればできると思った。
評価に関しては、迷いを感じている。というのは、このクラスの成績(教師からの評価)のポイントは、出席とクラス活動への参加である。ある学生は、授業は欠席したが冬休みに集まって作品を作った。しかし、出席日数不足で合格点を与えることができなかった。
学生自身が活動に積極的に参加し、目標を達成したと認識できたなら、合格としてもよいのだろうか。それとも、授業時間という枠の中だけで考えなければいけないのだろうか。成績としての教師の評価とは別に、学習者自身の活動への関わり方に対する評価を反映させる場所はないのだろうか。
引用・参考文献
斎藤孝(2000)『身体感覚を取り戻す』日本放送出版協会
斎藤孝(2001)『声に出して読みたい日本語』草思社